東京地方裁判所 昭和35年(ワ)5192号 判決 1961年12月11日
原告
早川寿ゞ子
被告
東海林昭三 外一名
主文
被告等は、各自、原告に対し金十一万五千円及びこれに対する昭和三五年六月二五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担、その余を被告等の連帯負担とする。
この判決の第一項は仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は「被告らは各自原告に対して金四十三万九千二百四十円及びこれに対する昭和三五年六月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、
(一)、被告三ツ矢興業株式会社は、東京都内においてタクシー営業を目的とする会社であり、被告東海林は、右会社に雇われ、自動車運転の業務に従事していたものである。
(二)、原告は、昭和九年二月二四日生まれの未婚女性で、昭和二九年三月東京家政学院短期大学を卒業し、現在毛糸機械編物教師及び毛糸編物業をしており、その月収は八、〇〇〇円である。
(三)、被告東海林は、昭和三五年四月二〇日午後九時五〇分頃、被告会社の所有する小型四輪自動車ダツトサン・ブルバードを運転し、上野方面より三ノ輪方面へ向け時速約三〇キロメートルで進行し、東京都台東区坂本町二丁目一番地先交叉点に差しかゝり同交叉点を直進通過しようとした際、同交叉点横断歩道を浅草方面より鶯谷方面に向け横断中の原告に、その運転していた前記自動車の前部右ヘツドライトの部分を衝突させて原告を転倒せしめ、そのため原告に対し、加療三ケ月を要する左骨盤環骨折の傷害を負わせた。
(四)、右事故現場は、当時被告東海林の運転する自動車の他に、反対方向にも同方向にも進行中の車馬はなく、前後左右の見透しは極めて良好であつた。被告東海林は、前記交叉点の約四〇メートル手前で、同交叉点北側横断歩道の右側鍵屋文具店角で信号待ちをしていた原告の姿を認めたが、同被告が交叉点にさしかゝつたときは、その進行方向に対する信号は青であつたのでそのまゝ時速約三〇キロメートルで直進したところ、交叉点中央附近で信号は黄に変つた。このような場合、自動車運転者たる同被告としては、交叉点を通過するのであるから特に細心の注意をもつて前方左右を注視し、万一歩行者が自動車の進路前方に飛び出すようなことがあつても、直ちに急停車し得るよう速度を減じたり警笛を鳴らす等の措置をとり、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにも拘わらずこれを怠り、原告は横断を開始しないものと軽信し、却つて、交叉点左方からの車馬の進行にのみ留意し漫然、道路の中央軌道上に進路をとつて進行を続けた過失により、折柄信号が黄に変つたのを見て右横断歩道を富士銀行側へ向け横断を開始し、すでに道路幅員の<省略>近くを渡つていた原告は、その至近距離に至つて始めて気がつき、危険を感じてハンドルを左に切ると同時に急停車の措置をとつたが及ばず本件事故の発生をみたものである。
(五)、従つて、被告東海林は、同人の右過失によつて原告に負わしめた損害を賠償する義務があり、又同被告は被告三ツ矢興業株式会社の被用者として当時被告会社の業務執行のため自動車を運転していたものであるから、被告会社は、被告東海林の使用者として民法第七一五条により原告に対し、その損害を賠償する義務がある。
(六)、而して原告が本件事故によつて蒙つた損害は次のとおりである。
(1) 治療費 金七一、二六〇円
(右内訳)
<省略>
(2) 附添看護料 金三八、四八〇円
(右内訳)
昭和三五年四月二〇日から同月三〇日までの附添看護料一日三五〇円宛、合計金三、八五〇円
同年五月一日から同年六月二五日までの附添看護料、一日四〇〇円宛、合計金二二、四〇〇円
附添看護婦の食費、一日一八〇円宛、合計金一二、〇六〇円
<省略>
(3) 被服等の損害 金五、五〇〇円
(右内訳)
<省略>
右はいずれも原告の着用、使用していたもので、本件事故のため破損し、使用不能となつた。
(4) 得べかりし利益の喪失 金二四、〇〇〇円
原告は、毛糸機械編物による技術教授(一ケ月六、〇〇〇円)並びに毛糸編物(一ケ月二、〇〇〇円)により一ケ月金八、〇〇〇円の収益を得ていたものであるが、本件事故による三ケ月の療養期間中右業務の廃止を余儀なくされ、三ケ月分の得べかりし利益を喪失した。
(5) 慰藉料 金三〇〇、〇〇〇円
原告は、本件事故により加療三ケ月を要する左骨盤環骨折という傷害を受けたばかりでなく、右傷害により後胎症の可能性を残す身体となるに至つた。すなわち原告は将来結婚しても子供を分娩できないか、又はできるにしても、その際母体及び産児の生命に重大な危険を負担しなければならない。このような傷害は、未婚女性である原告にとつて将来の結婚に重大な障害を生ぜしめたもので、原告の失望、不安は重大でありその精神的苦痛は少なからざるものがある。更に原告は、退院後の現在も右傷害の後遺症により歩行等日常の生活に相当な因難を来している。しかるに被告等は原告に対し一向に誠意ある態度を示したことがない。
右のような次第であるから、原告が本件事故によつて蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料は金三〇万円をもつて相当とする。
よつて、原告は、被告等に対し、各自金四十三万九千二百四十円及びこれに対する損害金の最終の支払日である昭和三五年六月二五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだ、と述べ、なお、被告等主張事実中、本件事故発生に関し、原告に過失があるとの点は否認する、と述べた。
被告等訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、
原告の請求原因中、(一)の事実は認める、(二)の事実中、原告が昭和九年二月二四日生まれの未婚女性であることは認めるがその余は知らない、(三)の事実中、被告東海林が時速三〇キロメートルで進行したとの点及び原告が横断歩道を横断していたとの点は否認し、負傷の程度は知らないがその余は認める。(四)の事実中、本件事故が被告東海林の過失に基くとの点は否認し、なお事故現場及び衝突の状況は争う。(五)の事実中、被告東海林が被告会社の被用者で、同会社の業務に従事していたことは認めるがその余は否認する、(六)の事実中、その(1)(2)(3)(4)は知らない。なお、慰藉料額及び被告側の態度に関する部分は争う、と述べ、さらに、
(一)、本件事故は、被害者である原告が自ら招いたもので、被告東海林にはなんらの過失もない。すなわち、本件事故発生時の現場状況、被告東海林及び原告の行動は次のとおりである。
本件現場附近は、南方上野方面から北方三ノ輪方面に通ずるコンクリート舗装の都電通りと西方谷中方面より東方浅草方面に通ずるコンクリート舗装の道路が直角に近い角度で交叉する交叉点で、同交叉点には四ケ所に横断歩道が設けられ、また五ケ所に東京都公安委員会の設置した自動式交通整理信号機があり、本件事故当時も右信号機による交通整理が行われていた。なお、本交叉点附近の制限速度は時速三二キロメートル以下と定められているほか特別の交通規制は行われていない。
被告東海林は、右交叉点進入直前、前方左側富士銀行角にある信号機が青色であることを確認し、左右には交通の障碍となる車馬も見当らず、前方右側鍵屋文具店角の歩道上に佇立する原告ら二、三名の人影を見たが信号の変るのを待つていて特段の異常の点も認めなかつたので、一応時速を二五キロメートルに減速したうえ、そのまゝ交叉点に進入直進したところ、進入後間もなく左方谷中方面から交叉点に接近する自動車を認めたので、若干進路を中央寄りに変えて進行し、北側横断歩道に近接した際、斜右前方約一〇メートル位の地点から車の進路内に走つて来る原告の姿を認め、危険を感じて直ちにハンドルを左に切つて急停車の措置を施したところ、車は若干スリツプして右横断歩道の外側(北側)四ないし五メートルの地点で停車したが、その停止直前車の右前照灯附近が原告の左腰附近に衝突して本件事故の発生となつたものである。
原告は、本件事故直前、坂本一丁目から台東区浅草田島町五〇番地の自宅に帰宅すべく、本交叉点鍵屋文具店角から北側横断歩道附近を横断しようとして歩道端に来たとき、丁度前方谷中方面から原告の帰宅方向に行く都バスの終車が進行して来たのを認め、小走りに車道内に入つたとき前方信号機が赤信号であるのに気づき、いつたん横断を思い止まつたのであるが、まもなく左側(上野方面)の信号が黄色に変つたのを認めると、前記バスに乗りおくれまいとの一念から横断を焦つて、歩行者にも当然要求されるべき前方、左右の注視並びに安全確認を怠り、右信号を無視したばかりか、横断歩道の外側(北側)四・五メートルの地点をそのまゝ小走りにかけ出し、進行中の被告東海林の運転する車には全く気づかずその進路内に走り込んで来たゝめ、同被告としては全くこれを避ける術がなかつたのである。本件において、原告が、横断歩道上を、信号を守つて普通に横断しておれば事故は回避できたものである。
結局事故の発生原因は、被告東海林の過失にあるのではなくすべて原告の無謀かつ軽卒な行動による右過失にあるのであつて、被告側からすれば不可抗力というべく、被告東海林にはなんらの責任はない。
(二)、被告三ツ矢興業株式会社は、法規に従い、運転者の雇傭選任には充分注意のうえ適格者を任命しており、採用後も訓練をほどこし、自動車の出庫前ないし定期に、検査を施す等その整備にも十分注意を払つているが、本件被告東海林についても同様適格者として選任し、監督にも十分注意を払い、本件車輛も十分整備され、なんら異常の点はなかつた。従つて仮に原告の傷害が被告東海林の過失に基くとしても、被告会社には損害賠償の責任はない。
以上の理由により、被告東海林はもちろん、被告会社も、本件事故による原告の損害を賠償するなんらの義務もないのであるが仮に被告等に賠償義務があるとしても、その賠償額の算定については、前記のような原告の重大な過失が当然斟酌されるべきである、と述べた。
(立証)(省略)
理由
一、原告主張の日時、東京都台東区坂本町二丁目一番地先交叉点において、タクシー営業を目的とする被告会社の被用人である被告東海林が、同会社の業務執行のため、同会社所有の自動車を運転し、右交叉点を上野方面から三ノ輪方面へ向け通過しようとした際、車の右前照灯附近か、右交叉点北側道路を浅草方面から谷中方面へ向け横断中の原告に接触して原告が路上に転倒し、その結果原告が負傷したことはいずれも当事者間に争がない。
成立に争のない甲第四号証の三、同号証の九及び証人梅津惣吉の証言によると、本件事故現場は、上野方面(南方)から三輪方面(北方)へ通ずるコンクリート舗装の道路(歩車道の区別があり、車道幅員は南北各一三米、南方歩道幅員は両側各二・七米、北方歩道幅員は西側二・四米、東側五・六米で、車道中央に都電軌道二条が敷設されている舗石の軌道敷がある)と、谷中方面(西方)から浅草方面(東方)へ通ずるコンクリート舗装の道路(歩車道の区別があり、西方は車道幅員一四米、両側歩道幅員各四米、東方は車道幅員一〇米、両側歩道幅員各三米)が、ほゞ直角に近い角度で交叉する交叉点で、交叉点に入る四ケ所に各々横断歩道があり、五ケ所に自動式交通整理信号機が設置せられ、本件事故当時も右信号機による交通整理が行われていた。事故の発生した上野方面より三輪方面に通ずる道路は一直線で見透しは良く、交叉点中央にライトが一つあつて交叉点の状況も見極め得る明かるさであり、また交通量は、事故当時は被告東海林の自動車と行き交う車馬もなく、閑散であつたこと、事故発生の約二時間前迄は雨が降つていたが事故当時は雨も上つて路面は所々濡れた箇所もあつたがほとんど乾いていたことが認められる。
そして、前掲証拠に証人小渋雅亮の証言により真正に成立したと認められる甲第一号証成立に争のない甲第四号証の四ないし八、一〇並びに原告本人尋問の結果及び被告東海林本人尋問の結果(後記不措信部分を除く)を併せ考えると、被告東海林は、本件事故発生前、上野駅前で、三輪方面へ向かう客二名を乗せて、前記上野方面へ通ずる道路を時速約三〇粁で進行し、午後九時五〇分頃前記交叉点に差しかかつた際、右前方約三七米の交叉点北側横断歩道右端に、原告等が左方に横断しようと信号待ちをして佇立している姿を認めたが、被告東海林の車の対面する信号機の信号が青色であつたのでそのまゝ進行を続け交叉点中央附近まで達したところ、右信号が黄色に変つたが(この黄色は四秒で赤となる)黄色では当然右原告等は横断を開始しないものと考えたにとゞまり原告等の動静には注意を払わなかつたため、原告が横断を開始したことに気がつかず(この原告の行動には後述のとおり過失があるがその点はしばらく措き)、却つて、交叉点西方谷中方面からの車の進行にのみ留意して車の進路を若干中央寄りにとり都電軌条左端附近を、特別に減速の措置もとらず、警笛も鳴らさず漫然同一速度で交叉点を通過しようとし、その中央附近を越えたあたりで、はじめて右前方七・八米あたりに車道を左方に横断しようとして小走りに同被告の車に接近してくる原告の姿に気づき、危険を感じて慌てゝハンドルを左に切り同時にブレーキを踏み急停車の措置に出たが及ばず、同被告の車は約一〇米車道の左側に進行しながら横断歩道やゝ北側の地点において停車したが、その間車の右前照灯附近を原告の左腰附近に激突させて原告の前方路上に転倒させ、加療約三ケ月を要する左骨盤環骨折の傷害を負わせ原告所有の着用レインコート一着、傘一本を毀損したことが認められる。被告らは被告東海林が、交叉点内において信号が黄色に変つた際、車の時速を三〇粁から二五粁程度に減速して進行したと主張するが、右主張にそい、且つ前記認定に反する被告東海林の本人尋問の結果は甲第四号証の三(本件直後に作成された実況見分調書)その他前記採用証拠に比照しにわかに信用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。自動車運転者たる者は交通信号に従つて車の運転進行をなすべきはもとよりであるが、更にたえず前方左右の安全に留意し、危険のないことを確認し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるところ、以上の事実によれば本件事故発生当夜の本件現場の状況に徴し殊に被告東海林が本件交叉点を通過する際は、数秒をいでず、前記黄信号は赤となり、交叉方向に対する現在赤の信号は青に変るべき状況であつたことが明らかであるから、歩行者が被告東海林の運転する車の前方路上の横断を開始する成能性、これに伴う危険の発生も多分に存するところ、被告東海林は信号機の信号に留意するにとゞまり前方路上を横断することあるべき歩行者に対する前方左右の注視安全確認の配慮を怠り警笛も鳴らさず減速もしないで漫然と進行し、そのため接近する原告の姿には至近距離に至るまで全く気がつかなかつた過失に基き、前記認定通り、事故を発生させ、原告に対し侵害及び所有物の毀損を蒙らしめたものであることが認められる。
三、(財産上の損害)そこで原告の蒙つた損害の額について考えると、証人小渋雅亮の証言、及び原告本人尋問の結果によつて真正に成立したと認められる甲第五号証、原告本人尋問の結果によつて真正に成立したと認められる甲第三号証の一、二および四並びに証人小渋雅亮の証言及び原告本人尋問の結果を綜合すれば、原告は本件事故による傷害の治療のため、昭和三五年四月二〇日から同年六月二五日まで六七日間、東京都台東区上根岸七番地の塩田外科病院に入院し、
(1) 診療費として、合計七一、〇六〇円、すなわち、
<省略>
<省略>
(2) 附添看護料及び附属諸費用として合計三八、四八〇円、すなわち
昭和三五年四月二〇日から同月三〇日までの附添看護料三、八五〇円
同年五月一日から同年六月二五日までの附添看護料二二、四〇〇円
附添看護婦の食費(六七日分)一二、〇六〇円
看護婦の交通費 一二〇円
下谷看護婦会に対する看護婦紹介料 五〇円
をそれぞれ昭和三五年六月二五日迄に支出したことが認められる。
なお原告が治療費の一部として主張する診断書二通代金二〇〇円については、原告の負傷と相当因果関係にある損害と認めるに足る証拠がないので、この点についての原告の主張は排斥する。
(3) 更に、原告本人尋問の結果によれば、本件事故のため、当時原告の着用携帯していたレインコート一着(時価四、五〇〇円)及び傘一本(時価一、〇〇〇円)がいずれも破損して着用、使用が不能となり合計五、五〇〇円相当の損害を蒙つたこと、
(4) 原告は東京家政学院短期大学、虎ノ門洋裁学院を卒業後、本件事故当時は毛糸機械編物の出張個人教授によつて授業料月収四、〇〇〇円、及び自らの毛糸編物業によつて最低純益月収二、〇〇〇円合計六、〇〇〇円の月収を得ていたが、本件事故による負傷治療のため右仕事は三ケ月間不能となり因つて右各収入を失い合計一八、〇〇〇円の得べかりし利益を喪失したことが認められ右認定を越える授業料の月収額はこれを認めるに足る証拠がない。
財産上の損害については以上認定の通りであつて、これを左右するに足る証拠はない。
四、右損害は、被告東海林の前認不法行為によるものであるが、本件事故発生については、被害者である原告にも過失があり、しかもその過失は相当重大なものであるから、その点を勘案すると、信号機による交通整理の行なわれている交叉点を横断しようとする歩行者は、その信号機の表示に従わなければならない。而も歩行者は最も危険の少ない方法で道路を横断し、自己の安全に留意するとともに、他の者の交通の安全を円滑ならしめるように協力すべきであるから、原告としては、信号機の表示に従い、且つ車道を横断し終るまでは左右の車馬の通行に注意して事故の発生を避けるようにすべきであつた、しかるに、前顕甲第四号証の三、五、六、八及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、本付事故発生前坂本一丁目の知人の所からの帰途、交叉点北東側角の横断歩道迄来たとき、道路を越えた谷中方面に、原告宅方面へ行くバスが来るのを認め、それを利用しようと思つて、急ぎ右横断歩道を谷中方面に渡ろうとしたのであるがその進行方向につき指示する左前方(南西角)の信号が赤色であつたので、いつたんは思い止まつたものの、現に通行中の人車に対する左方(南東角)の信号が青色から黄色となるや右バスに乗りおくれまいとして道路を横断することのみに心を奪われ、初めに見た自己の進行方向に対する信号はまだ赤色であるのにそれを確かめもせず、車道の左右に対しても注意を払わずにかけ出して行つたものでその状況は、その際同横断歩道を原告と同方向に渡ろうとしていた他の歩行者が見ても危いと感じた位であり、その結果、原告が被告東海林の車に気づいたのと衝突したのとは一瞬の出来事となつたものであることが認められ原告において、前述の注意を払つておつたならば、原告は落ち着いて十分被告東海林の自動車を避け得たであろうと推認できる。右認定に反する原告本人尋問の結果は右採用の証拠と比照し誠に措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。以上認定のとおり、本件事故の発生については原告にも相当重大な過失が存するので損害賠償額の算定にあたつてこれを考慮し、被告東海林の原告に支払うべき損害賠償金額は前認三、の(1)(2)(3)(4)の各損害のうち、(1)については金一九〇〇〇円、(2)については金一〇〇〇〇円、(3)についてはレインコートの損害につき金一一〇〇円、傘の損害につき金三〇〇円、(4)については金四六〇〇円以上合計金三五、〇〇〇円をもつて相当と認める。
五、(慰藉料)慰藉料の額について検討すると、原告が昭和九年生まれの未婚女性であることは当事者間に争がなく、証人小渋雅亮の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告の負傷は、左骨盤環骨折の癒着自体に三ケ月を要し、走つたり労働したりすることができるようになるには一年ないし一年半を要し、更に後胎症を残す疑があり、そのため後日原告が出産するような場合には非常な難産となるおそれがあることが認められ、このことは未婚女性である原告の心身に深い苦脳と不安を与えたことが明らかである。
また原告は本件事故後、歩行の危険とミシンを踏めなくなつたことにより毛糸機械編物の出張教授や内職の毛糸編物を止めるに至つたこと、現在も時折頭がしびれたり負傷の跡が痛むと通院すること、証人小林幸三郎及び被告東海林本人尋問の結果によれば、被告東海林は本件事故発生後直ちに原告を病院に運び、入院中は被告等は二度原告を見舞つたことはあるが見舞金、治療費等については、未だ全然提供していないことが認められること及び叙上のごとき本件事故の態様その他諸般の事情並びに前記原告の過失の程度及び態様を斟酌すれば原告が本件事故によつて蒙つた肉体的精神的苦痛に対する慰藉料の額は金八万円をもつて相当とする。
六、以上の次第で被告東海林は、叙上認定の不法行為により原告に蒙らしめた損害につき合計金一一五〇〇〇円の限度でその賠償をなすべきものである。被告会社は、被告東海林の選任監督について過失がなかつたので使用者としての責任はない旨抗弁し、原告は争うところ、その主張にかゝる事実を認めるに足る何らの証拠もない。してみれば、本件事故が、被告会社の被用者であつた被告東海林が被告会社の業務執行中に発生したことについては争がないのであるから、被告会社は民法第七一五条により、被告東海林が原告に対して与えた損害(前記認定の通り合計金一一五〇〇〇円の限度)を賠償すべき責任を免れることはできない、そして、被告等の各責任は不真正連帯の関係にある。
七、よつて、被告等は、各自、原告に対し金一一五、〇〇〇円及びこれに対する財産上損害出費の最終支払日たる昭和三五年六月二五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、原告の本訴請求は右の限度において正当であるのでこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 後藤静思)